【蕪村菴俳諧帖14】不倫の果てに
◆教育上不都合な俳人
明治から大正、昭和初期にかけての良妻賢母教育の中で、
さまざまな貞女、孝女の生涯や逸話が
女子生徒たちに教えられました。
俳人では秋色(しゅうしき)や加賀千代女(ちよじょ)が常連。
ことに親孝行な秋色は教育上好ましかったようです。
しかしここに、見事に排除されてしまった女性俳人があります。
夫を捨てて駆け落ちした諸九尼(しょきゅうに)です。
諸九は蕪村誕生の2年前、正徳4年(1714年)の生まれ。
本名をなみといい、筑後の庄屋の娘でした。
近村の庄屋に嫁いだのですが、29歳のとき旅の俳人と密通、
駆け落ちして浪花に逃れてしまいます。
20年ほどして愛人と死別したなみは尼となり、
やがて自身が俳人として自立、名声を得るようになっていきます。
俳諧を通じて知人、友人も増えて、生活も充実していたようです。
しかし犯した罪ゆえ故郷には帰れず、
懐かしい姉妹とも手紙を交わすのみ。
独り暮らしの寂しさを紛らすためか、
晩年は諸国行脚(あんぎゃ)の日々を送っています。
たびたび西国を巡っていたといいますが、
『おくのほそ道』にあこがれて陸奥(みちのく)を旅し、
旅日記『秋風記(あきかぜのき)』を遺したことで
よく知られています。
◆汗もこぼさぬ身たしなみ
天明6年(1786年)刊『諸九尼発句集』から
いくつか鑑賞してみましょう。
○七草や 指先赤きめのわらは
正月の野辺に七草を摘む家族の光景。
小さい手の指先を赤くして七草摘みに夢中な女の子を
子のない尼、諸九はどんな思いで見ていたのでしょう。
○柴の戸もとくひらかばや 花の春
柴の戸は粗末な戸のこと。
寒いのでなかなか開かずにいた柴の戸を、
朝起きてすぐ開こうではないか。
梅の春、桃の春、桜の春の訪れを喜ぶ心が伝わります。
○百合咲くや 汗もこぼさぬ身たしなみ
諸九は動植物を題材にすることが多く、
しかも独自の観点を示しているのが特徴です。
この句は暑さの中で凛とした風情を見せる百合に感心しながら、
わが身を振り返っているように思えます。
強く生きていこうという意志が感じられますが、
自分を励ましているのかも知れません。