【蕪村菴俳諧帖20】人形と暮らす男
◆物言わぬ美人妻
奇人の多い江戸俳人の中でも一風変わっているのが
小西来山(こにしらいざん:1654-1716)という男。
鬼貫が「生涯醒めたる日なく」と記したほどの酩酊俳人で、
ある夜、千鳥足で歩いているところを目付に捕らえられ獄中へ。
数日後、門人たちが探し当てて自由の身となりますが、
さぞつらかったでしょうと言われた返事が、
「自炊の手間がなくてよかった」のひと言。
大晦日に門人から雑煮の具を贈られた来山、
酒ばかり飲んでいて食物が乏しかったから丁度よいと、
その日のうちに煮て食べてしまって一句。
○我が春は 宵にしまうてのけにけり
正月は宵のうちに終わってしまったよと。
来山は生涯独身を通し、
自宅に女人形を置いて一緒に暮らしていました。
京都で見つけたという焼き物の人形で、
昼は机に載せ、夜は枕もとにおいて傍から離さず、
達磨の絵など飾ってにらまれているよりはるかにましだと公言。
しゃべらず笑わないかわりに腹を立てず、やきもちを焼かず、
蚤(のみ)にも蚊にも刺されないので居住まいを崩さず、
留守をさせておいても気にせずにすみ、いつも同じ衣裳でかまわず、
自分が死んで若後家になっても気遣いがいらないと、
よいことずくめだというのです。
実物が現存するかどうかわかりませんが、
残された絵を見ると脇息(きょうそく)にもたれる面長美人で、
左膝を浮かせ、身体を少しよじった色っぽい姿をしています。
◆奇行と裏腹な含蓄の句
上記の逸話を載せる『近世畸人伝』は
「行状にくらべて思へば老荘者にして」と記し、
来山は思想、哲学の人であって、
俳諧に生きるべき人ではなかっただろうと述べています。
その句を見てみましょう。
○一時に散る身で 花の座論かな
花見の席で議論が始まったようです。
花と同じように一時に散っていく身で何を争うというのか。
来山のこだわらぬ性格の裏には、
なにか深い考えがあったのかも知れません。
○濁らずは なれも仏ぞしゃがの花
泥から出て泥に染まぬ射干(しゃが)の花を見て、
おまえも仏(悟りを開いた者)だというのです。
幼くして父親と死別した来山は早くに出家したと考えられ、
仏教的な見方、考え方も身についていました。
○花咲いて 死ともないが病ひかな
西行は「ねがはくは花の下にて春死なん」と詠みました。
花の春が訪れて今がそのとき。
自分は病気だけれど、死にたいとは思わないなぁと。
「死にともない」と言いつつ、死を恐れるようにも思えないのが
出家者とふつうの人とのちがいでしょうか。