【蕪村菴俳諧帖25】燕にからかさ
◆傘はお洒落に欠かせない?
梅雨時の風物詩といえば、燕。
雨の日に燕が田んぼや畑の上を低く飛ぶのは
雨で発生した小さい虫を捕らえるため、
民家の軒先や駅のホームなどに巣を作るのは
天敵が近づいてこないからだそうです。
○傘(からかさ)にねぐらかさうや ぬれ燕
榎本其角(えのもときかく:1661-1707)初期の代表作。
雨に濡れて飛び交う燕に、
この傘を宿に貸してあげるよと呼びかけています。
「傘」の字を「からかさ」と読ませていますが、
これは手で柄を持って差す差しがさ、手がさのこと。
ほかにじかに頭に載せるかぶりがさがあって「笠」の字を書き、
江戸時代になるまではこちらが主流でした。
差しがさを日本に持ち込んだのは安土桃山時代の堺の商人、 呂宋助左衛門(ルソンすけざえもん)だったといわれます。
しかし一般に普及したのは江戸時代に入ってからで、
その理由は髪型が乱れないから。
流行を牽引したのは女性たちでした。
片手がふさがってしまうのですが、お洒落が優先だったのですね。
◆番傘の誕生
季節はちがいますが、蕪村にこんな傘の句があります。
○化けそうな傘かす寺の 時雨哉
猫でも道具でも古くなれば化けると、信じられていました。
傘のお化けの絵を見たことのある人は多いでしょう。
貧しい寺で貸してくれる傘は、化けそうなくらい古いというのです。
傘を貸す、というのを商売に活かしたのが江戸日本橋の越後屋でした。
来店客に無料で貸し出したのですが、
傘には大きく越後屋の屋号が書いてありました。
タダで貸すかわりにタダで宣伝してもらおうというわけです。
人気があって返しにこない人も少なくなかったそうですが、 そういう人は雨が降るたびどこかで宣伝してくれているだろうと。
貸し傘を広告に使ったのは越後屋だけではありません。
にわか雨が降ると、屋号を書いた傘が町にあふれました。
これを番傘と呼んだのは、屋号のほかに番号が書かれていたからです。
番傘は骨の本数が少ない粗末なものでした。
それに対して元祿のころ誕生した蛇の目傘は丈夫で繊細。
同じころ作られた長柄傘とともに人気がありました。
享保年間には男性用の高級な紅葉傘がもてはやされたといい、
さまざまな傘が生まれては消えていったようです。
傘の品質が向上すると、リサイクルが行われるようになりました。
古い傘を回収し、紙を張り替えて売る商人が現れたのです。
関西では土人形や土瓶とひきかえに傘を引き取っていたといいます。
江戸時代の日本がエコ社会だったのは知られていますが、
傘まで再生させていたとは、驚きますね。