【蕪村菴俳諧帖28】北陸に風士あり
◆盗人とはめでたい?
『俳家奇人談』に奇妙な挿絵があります。
板塀を破って釜や葛籠(つづら)を盗み出すふたりの男。
犬が吠えており、家の中でも誰かそれに気づいたようす。
しかしほかの五人ばかりの男たちは、意に介さず句作に没頭しています。
これは金沢在住の蕉門俳人
立花北枝(たちばなほくし:?-1718)のエピソードを描いたもの。
北枝の家で句会が催されていた日、深夜十二時頃に泥棒が入りました。
気づいた人がいて北枝に知らせたのですが、
北枝は笑っていずれ煤掃(すすはき=大掃除)に出すものだと言い、
気にするようすがなかったといいます。
それだけでも驚きますが、北枝は
そのとき出された前句「世間咄(せけんばなし)に茶がまちんちん」に
「盗人(ぬすびと)の目に掛けらるゝめでたさよ」と付句したとか。
※句会で先に出された句を前句(まえく)、
それにつけた句を付句(つけく)といいます。
元禄三年三月、金沢城が燃えるという大火があり、
北枝の家も類焼してしまいました。
多くの友人が見舞いに訪れたところ、北枝
○焼けにけり されども花は散りすまし
桜の散ったあとでよかったと泰然自若。人々は
「飛鳥川の常なきをよく弁へたる風士なり」と感じ入ったそうです。
飛鳥川というのは『古今和歌集』のよみ人知らず
世の中は何か常なるあすかゞは 昨日の淵ぞけふは瀬になるを指しています。
世の無常がよくわかった風流な人物だというのです。
◆師を思う新弟子
北枝は通称を研屋(とぎや)源四郎といい、
城下町金沢で刀砥ぎを職業としていました。
早くから俳諧をたしなんでいたのですが、
旅の途中の芭蕉に出会って入門したのが元禄二年(1689年)。
そのときの句というのが遺されています。
○耻もせず 我なり秋とおごりけり
粗末な家に耻(はじ)ることもなくお迎えいたしますが、
このような家にも秋がわがもの顔に訪れております。
せめてそれをお楽しみください。
わかりにくい句ですが、そういう心が詠まれているのでしょう。
○翁にぞ 蚊屋つり草を習ひける
芭蕉とともに金沢近郊の山を散策した際に詠んだ一句。
芭蕉に草の名を教えられた、それだけの内容ですが、
「翁にぞ」にはなにやらうれしそうな響きがありますね。
さて、めでたく師弟となったのち、
北枝は金沢を去る芭蕉に蓑(みの)を贈りました。
○白露も まだあら蓑の行方かな
別れは初秋七月のこと。
まだ白露はないけれど、新蓑(あらみの)が古びていくことが、
つまり旅をつづける芭蕉の行く末が、気がかりだというのです。
実際は名残惜しさのあまり、北枝は越前まで芭蕉に同行しています。