【蕪村菴俳諧帖33】神を送る日
◆神は風とともに去る
旧暦10月は神無月。
かつて吉田兼好はその呼び方に疑問を呈し、
諸国の神々が留守になるという説には根拠がないと書いていました。
神職の家柄の兼好がそう言っているのですが、
その記述から、鎌倉時代にすでに
神の留守が広く信じられていたことがわかります。
ただ神の行き先については諸説あったようで、
出雲に一本化されたのは江戸時代になってからだとか。
芭蕉に興味深い句があります。
○都いでて 神も旅寐の日数哉
神も自分と同じように旅をする。
幾夜も旅寝の日数(ひかず)をかさねて出雲に向かうのだろうと。
神が旅立つのは九月晦日。
宮参りをしてそれを送り出すのが「神送り」で、
その日に吹く風を「神送りの風」と呼んでいました。
次の鬼貫の句はそれを踏まえたもの。
○荒るゝものと知ればたふとし 神送り
怖いほどの風が吹き荒れても、それが神を送るための風とわかれば、
むしろ尊いものと感じられるというのです。
毎年つごうよく風が吹いたとは思えませんが、
○神送り 荒れたる宵の土大根(つちおおね)
洒堂(しゃどう)の句にあるように、
風とともに神が去ると、入れ替わるように冬が訪れるのです。
土大根はもちろんダイコンのことで、
神送りの風が吹いたその晩に、
早くも土から白い肌をのぞかせていたのでしょう。
◆縁結びも縁切りも
出雲に集合した神々は会議を行い、
その結果が人間の運命を左右すると考えられていました。
男女の縁を決めてくるとも信じられていたらしく、
旅立つ前の村の鎮守さまに未婚の男女が
縁結びを願って参拝する習慣が日本各地にあったそうです。
越人(えつじん)の句は、そんな大事な会議に行く神に
願いごとを託したもの。
○妻の名のあらばけし給へ 神送り
出雲大社の台帳に妻の名があったら消してくださいというのです。
男女の仲を取り持ってくれというのではなくて、その逆。
離縁するつもりだったことがうかがえます。
はたして越人は無事に(?)離縁していますから、
神は縁切りの手助けもしてくれたことになります。