【蕪村菴俳諧帖44】秋色桜
◆孝女の鑑
東京上野の観音堂近くに
「秋色桜(しゅうしきざくら)」という桜の古木があります。
秋色というのは江戸の菓子屋の娘おあきの雅号です。
13歳の春、上野に花見に行ったおあきは
観音堂のうしろ、井の端にある桜を見て一句詠み、
木にくくりつけて帰りました。
その句というのは
○井戸端の桜あぶなし 酒の酔(えい)
これが門主(=住職)の目にとまったことから、
少女俳人は一躍江戸の有名人になったそうです。
おあきはその後其角(きかく)に入門。
やがて俳家として自立するほどの力をつけていきます。
井の端の桜には「秋色桜」と名がつけられて知名度はますますアップ。
そんな中、ある大名が秋色を山荘に招待します。
庭園の贅沢ぶりで世に知られた山荘。
喜んだのは秋色の父親です。これはよい機会だと、
家来に扮装して一行に紛れ込み、絶景を堪能します。
ところが運悪く帰路は大雨に。
大名は駕籠(かご)を用意してくれましたが、それは秋色の分だけです。
家来の格好をした父親がびしょ濡れになっているのを見た秋色、
駕籠かきに用事をいいつけておいて父親と入れ替わり、
自分は笠に合羽(かっぱ)の姿で帰ったと伝えられます。
秋色の孝行譚は浮世絵や錦絵に描かれ、
明治、大正期には孝女の鑑(かがみ)として
女子向け教育書に繰り返し採り上げられました。
◆忘れられた孝女
第二次大戦後、秋色はすっかり忘れ去られました。
教育の場での利用価値がなくなってしまったのでしょう。
しかし秋色は捨て置くには惜しい俳人です。
明治時代の俳書からその魅力の一端を紹介します。
○土筆たけて 桜にかはるこゝろかな
土筆(つくし)の背が長(た)けて 桜の次は自分が主役だとでも言いたげに。
○親も子もおなじふとんや 別れ霜
春の最後の霜が別れ霜。
ひとつ布団で寝るのもそろそろ終わりかと晩春の思い。
○仏めきて こゝろ置かるゝはちす哉
泥中にあって泥に染まぬ蓮(はちす)の姿。
心惹かれるのは憧れのせい?
○月にさへ 家ははなれぬ女かな
男ならやれ月見だ酒だと家を出ていってしまうところ。
○身を恥よ くねるとあれば女郎花
女郎花(おみなえし)への呼びかけ。
風に身をくねらせる媚態を恥じよ、気高くあれと。
○しみじみと子は肌につく 霙かな
霙(みぞれ)降る日、
抱いた子のぬくもりで寒さに気づく。冬もいよいよ本番に。