【蕪村菴俳諧帖63】遊行柳
◆芸能化された西行の和歌
謡曲(=能)に西行の和歌を扱った
『遊行柳(ゆぎょうやなぎ)』という演目があります。
遊行上人(ゆぎょうしょうにん:時宗の僧)が
白河の関を越えて陸奥(みちのく)に入ると、
見知らぬ老人に呼び止められ、
先代の遊行上人が通ったという古道を教えられます。
そこには「朽木(くちき)の柳」という名木があり、
かつて西行が「道のべに」と詠んだ柳にほかならないというのです。
老人は上人を案内しながら、
尊い上人の念仏を聞けば草や木でも
成仏の縁を結ぶことができると言います。
老人は柳の精でした。
西行の歌というのは、
道のべに清水流るゝ柳かげ しばしとてこそ立ちとまりつれ
(新古今和歌集 夏 西行法師)
ちょっとだけのつもりで立ち止まったのだが、
という余韻のある下の句が効いた歌。
謡曲に登場するのは、このとき西行を立ち止まらせた
柳の精だったというのです。
◆柳陰の芭蕉と蕪村
西行の歌はどこで詠まれたかわかっていないのですが
『遊行柳』は白河の先の古道としており、
元禄時代の松尾芭蕉は『おくのほそ道』の紀行で
那須の芦野(あしの)を訪れ、
田の畔(くろ)にある「清水流るゝの柳」を見ています。
○田一枚 植ゑて立去る柳かな 芭蕉
しかしこの句の悩ましいところは主語の特定です。
田一枚の田植えを終えて立ち去ったのは村の早乙女か、 早乙女が田植えを終えるのを見届けて西行が立ち去ったのか、 あるいは芭蕉が立ち去った(訪問は四月二十日)のか、 さまざまな解釈が可能なのです。
植えたのも去ったのも柳の精だという解釈も 謡曲らしい幻想味があって魅力的です。
芭蕉は謡曲『遊行柳』を知っていたでしょうから。
蕪村にも若いころの句で 遊行柳を詠んだものがあります。
《前書き》 神無月はじめの頃ほひ 下野(しもつけ)の国に執行(しゅぎょう=修行)して 遊行柳とかいへる古木の影に目前の景色を申出はべる
○柳散 清水涸 石処々 蕪村
蕪村は荒れた光景を目にして 蘇東坡(そとうば¬=宋の詩人)の詩の一節 「水落ちて石出づ」を思い出したのだそうです。
西行でなく蘇東坡を思い出したという意外な展開。
涸れた清水にはるかな時の流れを実感したのだと思われますが、 現在那須町芦野にある遊行柳は 青々と葉を茂らせているそうです。
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