【蕪村菴俳諧帖67】年 玉
◆現金ではなかった年玉
子どもたちの正月の楽しみの一つ、年玉。
年玉の習慣は室町時代にはすでにあったそうで、
目上の者が目下に贈るのが通例だったとか。
歳暮や中元とは逆の進物習慣だったのですね。
贈る品は時代や地方によりさまざまですが、
古くは紙に包んだ丸餅、酒、織物、扇などが多かったようです。
江戸時代に入って種類が多彩になったといいますが、
現金を包む習慣はありませんでした。
○年玉に梅折る 小野の翁かな 言水
○とし玉のさいそくに来る 孫子かな 一茶
一茶の句の孫たちは何をもらったのでしょうか。
○年玉や 抱ありく子に小人形 召波
年玉が子ども対象になり、祝儀袋に入れた現金が一般化したのは 明治の終わりから大正時代にかけてだそうです。
もらう側が主役になり、もらうのは現金のみとなった現在、 個性的な年玉はもう復活しないのでしょうか。
◆贈り主を思う年玉
さて、明治時代の
正岡子規はこのような句を詠んでいます。
○年玉を並べて置くや 枕もと 子規
しかし、寝ていたのは子規本人でした。
子規はこのとき病床に臥せっていたのです。
この句を載せるのは随筆集『墨汁一滴』。
一月二十八日の日付けがあり、子規は 「人に物を贈るとて実用的の物を贈るは賄賂(わいろ)に似て 心よからぬ事あり。実用以外の物を贈りたるこそ 贈りたる者は気安くして贈られたる者は興深けれ」と記しています。
子規の枕もとにあったのは知人から贈られた地球儀、 絵はがきや本の類でした。
現金や実用品には贈った人の個性は出ませんが、 実用以外の品であれば贈り主の人柄や思いを 感じることができると、子規は喜んでいます。
無邪気な子どもを詠んだ句ではなかったわけですが、 昔のままの年玉、プライスレスな年玉の 姿を見るような気がします。
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