【蕪村菴俳諧帖69】更級日記と蕪村

◆古典に取材した蕪村

蕪村の句には『徒然草』に影響されたものがあり、 『源氏物語』の一場面を彷彿させる句があり、 古典への愛着、敬慕の念がうかがい知れます。
次の句は『更級日記(さらしなにっき)』に 材を得たと思われるもの。

○西吹ば ひがしにたまる落葉哉  蕪村


西風が吹けば落葉は東に溜まる。
訳せばそういう意味ですが、 それだけでは解釈・鑑賞になりません。

『更級日記』の作者は 菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)です。
上総(かずさ)から都に向かう途次、作者は 武蔵の国の「竹芝といふ寺」で不思議な伝説を耳にします。

かつてこの国のある男が都で 衛士(えじ=宮中警固の兵士)として働かされていたとき、 御前の庭を掃きながら愚痴をこぼしました。

どうしてこんなつらい目に会うのだろう。
故郷ではあちこちの酒壺に瓢(ひさご=ひょうたん)の 柄杓(ひしゃく)が差し渡してあって、その柄杓が 「西吹けば東になびき、東吹けば西になびく」のを見ていた。
それなのに今では…。

これを御簾(みす=宮殿のすだれ)の端で聞いていたのが、 帝がたいそうかわいがっていた姫宮でした。 
「いかなるひさごのいかになびくらむ」と 姫宮はその様子を見たくてたまらず、 衛士を呼んで自分をそこに連れていけと命じたのです。

畏れ多いと思いながらも、衛士は姫宮を背負い 七日七夜かけて武蔵の国に戻りました。
姫宮の失踪に都が大騒ぎとなったのはもちろんです。
姫宮の居場所がようやく朝廷に知れ、 使者が送られたのは三月(みつき)ののちでした。

しかし姫宮は使者に、ここは住みよいところであり、 こうなったのは宿世(すくせ=前世からの因縁)なのだと言って かたくなに帰京を拒みました。

朝廷はあきらめるしかなく、 衛士の男に姫宮と武蔵の国を預けました。
男は家を内裏のように調えて姫宮を住まわせていましたが、 姫宮の没後、その家を寺にしました。
それがこの竹芝寺なのです。

○行く雲のように 流れる水のように

姫宮は念願だった風になびく瓢を見たはずですが、 その後も武蔵の国に住みつづけ、これは宿世だと言っています。
風のなすがまま、抗(あらが)うことのない瓢の姿が 姫宮の心境を変化させたのでしょうか。

僧形(そうぎょう)で旅をしていた蕪村は 「行雲流水(こううんりゅうすい)」を知っていたでしょう。
空を行く雲や流れる水のように、何にもこだわらず 状況に合わせて柔軟に生きることをいい、 禅宗の行脚(あんぎゃ)僧を 雲水(うんすい)と呼ぶのはこれによります。

意味は慣用句「柳に風」に似ていますが、蕪村は「風に落葉」。
風に逆らわない落葉も、風に吹かれるままの瓢も、 雲や水のありようを理想とする身には 共感を呼ぶ光景だったのでしょう。




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