【蕪村菴俳諧帖70】朝顔
◆柳に朝顔
元禄時代の俳諧選集『炭俵(すみだわら)』に朝顔を詠んだこのような句があります。
○てしがなと 朝皃ははす柳哉 湖春
「てしがな」は願望を表す終助詞「てしが」に 詠嘆の「な」がついたもの。
願望というのは柳に朝顔を這わせて花を咲かせることです。 独創的な発想に思えますがじつはパロディで、 本歌は『後拾遺和歌集』にあるこの歌です。
梅が香を桜の花ににほはせて 柳が枝に咲かせてしがな (後拾遺和歌集 春 中原致時朝臣)
梅の香りと桜の花の姿、柳の枝の風情を同時に楽しみたい。
致時(むねとき)の贅沢な(おそらくウケねらいの)願望。
それに対し湖春(こしゅん)は、 朝顔と柳の取り合わせも悪くないよというのでしょう。
朝顔は奈良時代の末ごろに中国、 もしくは朝鮮半島から渡来したと考えられています。
朝廷が畝傍(うねび=奈良盆地南部)の 薬草園で栽培していたともいわれ、 当初は種子を薬用にするのが目的だったようです。
観賞用の花として広まったのは近世に入ってからで、 東京入谷(いりや)の鬼子母神(きしもじん)境内で 開かれる朝顔市は、江戸時代の入谷が朝顔の産地だった名残です。
◆身近になった朝顔
朝顔が庶民の生活に溶け込んでいたことを示す句があります。
朝皃や 日傭出て行跡の垣 利合
朝顔をその子にやるな くらふもの 荷兮
利合(りごう)の句の「日傭(ひよう)」は日雇い。
朝早く働きに出て行ったあと、垣根の朝顔が咲いていたのです。
家に戻るころには萎んでしまうかもしれませんが。
荷兮(かけい)の句は前書に 「子を守るものにいひし詞(ことば)の句になりて」とあり、 子守に忠告する言葉がそのまま句になったというのです。
乳児は何でも口に入れてしまうから朝顔を持たせるなと。
蕪村にも朝顔の句がいくつかありますが、 次の句は少しばかり異色、難解です。
朝がほや 一輪深き渕の色 蕪村
一輪だけ他より濃い、渕(ふち)のように深い色の朝顔が咲いた。
見たままのようですが、この句には 「澗水湛如藍」という前書があります。
蕪村は色の濃い一輪を見て、 禅宗の書『碧巌録(へきがんろく)』を思い出したのです。
『碧巌録』は単純化して言えば禅問答の語録であり、 初学者向けの問題集として用いられていました。
その中に「山花(さんか)開いて錦(にしき)に似たり 澗(かん)水湛(たた)えて藍(あい)の如し (原文:山花開似錦/澗水湛如藍)」という一節があります。
山は花が咲いて錦のようであり、 澗(=谷川)は水を湛えて藍を流したかのようだと。
風景を愛でた漢詩として成立しそうですが、 そこは禅問答です。
大自然を前にして人間の小ささを思うのか、 悠久に見える大自然さえ永遠ではないと思うのか。
前書があるばっかりについ考えてしまいますね。
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